のちにアイドル豊作の年と呼ばれることになった1982年、数百と言われるアイドルの原石たちと共にデビューしたのが石川秀美です。
河合奈保子という成功者を出して、ひとつのブランドとなったオーディション「秀樹の妹コンテスト」での優勝がデビューのきっかけだったので、話題性、バーター融通性は充分でした。
が、
少しクセのあるとっつきにくい顔立ち。
シャイなのか、ちょっと暗い雰囲気。
歌唱力もまあまあで、アイドルとしての印象は薄く、売れる素材とは思えませんでした。
特徴と言えば、キレイな脚を強調したホットパンツやミニスカートの衣装くらい。
では、
石川秀美が何故売れたか。
所属事務所 芸映のスタイルである地道な地方キャンペーンに負うところが非常に大きいです。
スーパーの屋上とかでやるアレです。
芸映の地方周りは、かなりの田舎まで徹底しています。
これが地固めをしていったと言えます。
初期の楽曲に名曲が多いのも、これを後押ししていると思います。
「妖精時代」
「ゆ・れ・て湘南」
「哀しみのブリザード」
「涙のペーパームーン」
初めの2曲は巨匠 松本隆の作詩、続く2曲もメロディアスで耳に残る良曲です。
良い曲を歌いながら全国を周り、じわりじわりとファンを獲得していきました。
演歌歌手的な手法ですね。
転機は4曲目の「涙のペーパームーン」です。
余談ですが、私の1番好きな曲です。
オリコン初登場が最高位となりがちなアイドル歌謡において、息の長いチャートアクションで15位前後まで上がると、そこに1ヵ月月以上留まりました。
まさに演歌的な動きです。
キャンペーンの効果を実感した期間であり、ブレイク前夜でした。
そして、5曲目「Hey! ミスター・ポリスマン」が発売されます。
初登場で40位くらいに着けると、翌週いきなり初めてのトップテン入りを果たしたのでした。
つまり、売れたのは駄曲になってからなんですね。
ただ、その曲調と共に、ちょっと暗い雰囲気だった秀美が、突き抜けて明るい印象に変わっていきました。
美脚のイメージも浸透。
長い地方周りで多くの人に見られて磨かれたか、顔立ちも大衆化して親しみやすくなったと思います。
結果的に駄曲の方が、石川秀美に合っていたということでしょうか。
その後も数々の駄曲をヒットさせていきました。
結論、
事務所主導の地道な活動と、それに伴う石川秀美自身の成長が、彼女をスターに導きました。
初期の曲は今でもしばしば聴き返します。
好きなアイドルです。