真面目過ぎたのでしょう。
純粋過ぎたのでしょう。
1986.4.8、ユッコは自ら命を断ちました。
人の死を初めて身近に感じた、悲しい悲しい思い出です。
1984年春、岡田有希子は「ファースト・デイト」でデビューしました。
ぎこちない踊り,張りがあってよく通る甘い声,小柄で愛らしい容姿のパッケージは秀逸で、アイドル性の高い素材でした。
さらに、デビューからの竹内まりやによる3部作
「ファースト・デイト」
「リトルプリンセス」
「恋、はじめまして」
は、秀作揃いで恵まれたデビューだったと言えるでしょう。
徐々に知名度を増し、オリコン順位を上げ、トップアイドルに育っていきます。
4曲目「二人だけのセレモニー」でキャリアの頂点を迎えたと、私は思っています。
可愛かったです。
化粧品メーカータイアップや事務所の販促で、この後に売り上げとしては伸びたものもありましたが、“アイドル歌手”という側面からはここがピークだったと思います。
この後は、アイドル的魅力は下降曲線を辿っていきました。
歌手として将来を模索する一方で、アイドルが挑むのが女優業です。
ユッコにも連続ドラマの主演が巡って来ます。
「禁じられたマリコ」という奇妙なドラマでした。
見ているのが痛々しく、残念ながら演技の才能は無かったようです。
こんな仕事を受けなければ。
このドラマさえ無ければ…
ユッコは生きていたのかもしれません。
悔やまれます。
岡田有希子は見た目にそぐわず、相当な秀才でした。
親から課されたデビューを許可するための条件、
「学内テストで学年1位になること」
「統一模試で学内5位以内に入ること」
「第1志望の高校に合格すること」
を猛勉強の末クリアしたというのは有名な話です。
真面目で努力家でした。
そんな真っ直ぐな純真な18歳の女の子です。
初めての恋だったのでしょう。
件のドラマ共演者でした。
身を焦がす恋。
叶わぬ思いに耐えかねて死を選んでしまったのだと思います。
マネージャーよ、事務所よ、まわりの大人たちよ、文字通り死ぬほど思いつめていたのにユッコの心に気付いてやれなかったのか?
たった2年のアイドル活動で、若くして亡くなってしまいましたが、彼女は日本のショービジネス界に確実に足跡を残したと思いますし、
私は今も岡田有希子が大好きです。