今でも売れる素材ではなかったと思っています。
巡ってきたワンチャンスをモノにした。
そして、埋もれていた魅力が爆発した。
そんなシンデレラストーリーでした。
85年初夏、清楚なお嬢さま的なイメージを着せられ、南野陽子は「恥ずかしすぎて」でデビューしました。
マガジンのグラビアなど一部で盛り上がりを見せるものの、歌手としては鳴かず飛ばずの時期が続きます。
この娘が生き残るには、朝ドラの主演を取るか、脱ぐしかないだろうと雑誌で評論されてしまう程度の位置付けでした。
11月、ドラマ「スケバン刑事Ⅱ」の主演を射止めます。
運命の出会いです。
これが、前述の朝ドラ主演を凌駕する結果を導きます。
人気シリーズの第2弾という基礎視聴率が確保されている舞台で、南野陽子が躍動しました。
顔が売れていくにつれ、ドラマの挿入歌となっている南野の曲もヒットし始めます。
歌唱力はさほどでも無かったものの、音感は良く、心地良い魅力的なボーカルでした。
やがて縁のなかったランキング番組にも顔を出すようになりました。
これが2つ目の化学変化に繋がります。
ザ・ベストテンなど当時、高視聴率を誇ったテレビ番組で、南野陽子の素の魅力が発揮されていきました。
チャラッチャラーラと歌いながら、右手から左手へ指が移動するという似非マジックを楽しげに披露する姿、
23歳で結婚から73歳で永眠までの人生設計を蕩々と解説したり、
当時は関西のごくごく一部の風習だった恵方巻きを地元の行事として「太巻きを一気に食べるんです、喋っちゃいけないんです」と一生懸命に説明する姿、
など
清楚な美人から、お茶目でひょうきんな親しみやすいキャラクターに変わっていきました。
そしてベストテン1位獲得などトップアイドルに登り詰め、
堂々8曲連続オリコン1位と、長きに渡り栄華を極めることとなりました。
南野陽子がここまで愛されたのは、その人柄に依るところが大きいと思っています。
一時、マスコミにわがままと叩かれた時期がありました。
スタッフに対して自分の意見をハッキリ言う人でした。
ただ、これにはファンのためという信念がありました。
例えば、事務所が金儲けでカレンダー を2種類出そうとするのに対して、ファンの子たちの負担が大きくなると断固拒否した逸話があります。
こうしたファンへの優しさ、ファンへの愛に溢れた人物でした。
南野陽子の温かい人柄はラジオに顕著でした。
「ナンノこれしきっ!」は荒んだ心に染み込んでくるような、癒される番組でした。
歌手として大成功を収める一方で、女優業でも数々の主演をこなしていきました。
中でも「熱っぽいの」「追いかけたいの」は、アイドルドラマとして出色の出来で、私の大好きな作品です。
主題歌を担当したWinkのブレイクにも一役買いました。
南野陽子の所属は、エスワン・カンパニーという弱小事務所でした。
トップアイドル、大スターを活躍させ続けるノウハウ,経験が無かったのだと思います。
南野陽子が人気の曲がり角を迎えると、売り方が迷走していきます。
「へんなの」という実際、変な曲を歌わせられたり、
完成度の低い自作詩の曲を出したり、
20年くらい前のリバイバルをしたり。
長期低迷に入っていき、アイドルとしてはその役割を終えました。
私は、南野陽子の容姿はさほど好きではないのですが、人間性にとても惹かれました。
思い出深いアイドルです。