田村英里子 論

アイドル

世が世なら天下を取ったであろう逸材でした。
“敗因”は1989年というアイドル冬の時代真っ只中のデビューだったこと、ただそれだけです。
惜しい素材でした。


1989年3月、ドイツからの帰国子女という看板の下「ロコモーションドリーム」で、田村英里子はデビューしました。

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顔、スタイル、歌声、歌唱力、賢さ、
どれをとっても、
今振り返っても、
ズバ抜けたアイドル性です。

ブラウン管(テレビ画面のことね)越しに可愛らしいのは勿論のこと、上岡龍太郎やマイクタイソンなどちょっと変わった大物が一目惚れした例が漏れ聞こえる事から、実物も相当魅力的だったのだろうと想像されます。


私が最も彼女を評価するのは、歌唱パフォーマンスの部分です。

天性の軽やかな身のこなし、そして笑顔、
優れた楽曲に、艶のある歌唱。

「ロコモーションドリーム」
「好きよ」
「真剣(ほんき)」
デビューからの筒美京平3部作はアイドル歌謡として屈指の名曲群です。

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真剣(ほんき) 田村英里子 をAmazon

下位でしたが、ベストテンにもランキングされ、賞レースでは、新人賞も多く獲得しました。

その後も、軽快な曲に伸びやかな歌声で佳作を発表していきました。


セクシーな娘であったのは確かなのですがセクシー路線に振り過ぎてしまったこと、よく分からないアニメタイアップなどついていけない売り方もあり、私は脱落、やがてセールスも思うに任せなくなっていきました。

のちに大胆なグラビア(カレンダー )などで話題を振りまいたりもしましたが、私の中では、可愛いアイドル田村英里子は7thシングル「虹色の涙」辺りで終焉を迎えました。


記事頭で“敗因”と記しましたが、普通の素材なら決して負けではない活躍です。
ただ彼女の絶大なポテンシャルからすると、遥かに小粒なアイドルで終わってしまった事がとても残念です。


4thシングルのカップリング曲「ガーネット伝説」が大好きで、現在でも頻繁に聴きます。
その他のシングルもアルバムも折に触れて、思い出しては聴く機会が多い、現在進行形で思い出深いアイドルです。

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